バージョンアップと変更って違うんだぞと言う話をよく言うのか、
よく言うのが、何かの論理をアウトプットしておきながら言っていることが以前と全く違う人がいる。は無いだろうか。言っていることの本質自体が変わらないとしても、そのものを叶える方法論が大幅に変わっていればそれはもはやバージョンアップではない。
よくバージョンアップと言う言葉を使う人は、未完成のものをアウトプットしているに過ぎず、それをやりながら関西に導いていると言うことだ。むかつくのはその未完成の作品をあたかも完成かのようにしてお金を取り、その点を指摘するとバージョンアップだとほざく。のものを売りつけられているだけだ。本来バージョンアップと言うのを改善するときにはよくウィンドウズの例が挙げられる。ウィンドウズのバージョンアップを繰り返し未完成のままで製品を出しているがどんどんバージョンアップをして完璧な姿になっていくといった話は自己啓発の話でもよく聞くのだが、そもそもウィンドウズにバージョンアップがかかっても、ウィンドウズウィンドウズなわけで、操作性も機能もそこまで大きくは変わらない。ほとんどのバージョンアップは脆弱性をカバーするものだったりする本体が未完成と言うよりはその脆弱性を作る人たちがいるからそこをカバーするものを作っているだけのいたちごっこであって、ウィンドウズ自体が未完成だからと言うことではないと思う。
会社でも言っていることとやっていることがしょっちゅう変わる奴がいる。僕はやり方や考え方が変わること自体は否定しないし、むしろ柔軟性があると思うのだが、はふさわしくない。本人としては無意識に使っている言葉かもしれないし言っていることを変えた考え方を変えたと言うことがじゃあ今まで何だったんだと言う話になるのであえてバージョンアップと言う言葉を使っているだけなのかもしれないが、考え方が変わったこととバージョンアップされた事は明らかに違うと言うことを申し上げておきたい。
僕は昔医療業界にいたのだが、普通では行っていないような診療を行っている医師は、治療方法をどんどん変える。その人のオリジナルだったりする治療もあるわけで変わると言う事はそれだけ治療技術を高めていると言うことの裏返しと解釈する方も多いと思うが、つまり売っているものが未完成だということだ。逆に完成していないからこそその人しかやっていないとも言えるので、誰もやっていない治療=効く治療だと言うわけでは無いのにどうもそういうような解釈がなされている節がある。これはその他インターネットでノーハウを得る人間だとか、習い事などの流派でもメジャーではない流派などがよく使うトークテクニックではあるのだが、バージョンアップと言う言葉で納得しないように気をつけてほしいと思う。
もしあなたの上司がバージョンアップ当たったらことをお勧めする。わざわざ変わってるんじゃないかと指摘する必要はないが、変わったことが認められない小さなやつなんだなとは思っておいた方が良い。情報として見極めることが大切だ。