自分ができる範囲の仕事
自分ができる範囲の仕事をすると言うことと、やるべき仕事ができていると言う事は似て非なるものである。僕の会社ではリモートワークを導入しているのだが、緊急事態宣言も開け、リモートワークは必須で仕事がリモートワークでも終わるならば良いと言う本人の選択制になった。本人の選択制に任せるの僕は個人的にはどうかと思うのだが、やるべき仕事をリモートワークでも終わらせることができると言う状況と、リモートワークでできる仕事しかしていないと言うこの2通似て非なるものだと思う。
リモートワークがいけないと言っているわけではないが、働き方が変わっても個人がやるべき仕事の範囲は変わらない。できるだけリモートで対応できるように様々な工夫をすることにも賛成だが、一方でそれがすべてをそうするのが難しい場合は、応急処置として出社しなければならない。僕はそう思う。
半日だけ出社して全部まとめて片付けて午後はリモートと言うよりはそれだっていいと思うし、働き方はある程度自由に決められると言うのは良いが、先に働き方を決めておいてそこでできる範囲しか仕事をしないと言うようでは本末転倒だ。
かく言う僕もリモートワークには憧れがあって、コロナウィルスによる緊急事態宣言で自主的にリモートワークに切り替えたこちらは、行ってみて思うのはそれはどんなに頑張っても7割程度。出社して行っている業務と同じことをやっていてもどうしても時間がかかる印象だ。何かを作成する、例えば資料を作ったり、もしくは考える作業、これからの戦略面を考えたりどっち内容にはまとまった時間を取りやすいので会うのだが、一方で人に聞きながら、確認しながら行う作業に関しては、チャットを使っても11、正直チャットするほどの用ではないのに相手の時間をとってしまったりもしくは取られたりと言うことが頻繁に起こる。
さらに家の家環境は目にとっては休む環境であり、働くと言う環境ではない。Wi-Fi環境は整えているが、それでもリラックスする空間を無理矢理仕事ができるようにしているわけで、長くリモートワークをしているとどうしても甘えが出そうになる。
使っている機材に関してもモニターがないとかノートパソコンでやってると肩が凝るとかそういう問題に僕はiPhoneのモニターを買ったりキーボード操作消したりしながら対応しているが、それでも見える範囲にプライベートのものがあるだけで完全なる集中は難しいと感じる。
もちろん少し環境を変えて考えることで新しいアイデアが生まれたり、リモートワークならではの利点もあると思うが、リモートワークになったから与えられる仕事が変わるわけではなく、それをどうやってリモートワークでほとんどを片付けるかというふうに考えなければならないはずである。
今有本はコースが行っているうちの会社の社員は、リモートワークで働くと言うことを第一に考え、その中でできる仕事しか来なければいけない仕事は雑用ぽい仕事が多いと言うこともあって、行かなくても保護者には誰かがやってくれるとすら考えているんじゃないかと思う。でもそれって自分の仕事をやるために本社に来ている人間を顎で使うことになり、印象も良くないし不公平感が生まれると思う。そんなところまで気が回っていないのかもしれないが自分が抱える仕事どうやったら効率よくできるかと言う視点で考えたときに、緊急事態宣言が明け出社ができるので出社と言う選択肢はゼロであると言う選択を取るのは仕事を行う者としていかがなものかと